高2の頃に学校に行きたくないと思っていた理由がついに判明した

こんにちは、陰キャ研究所の伊藤です。

僕は高校2年生の頃に「学校に行きたくない」という気持ちでいっぱいでした。

毎日が満たされない気持ちで溢れており、生きることに萎えていたのです。

そしてつい先日、僕が高2の頃に学校に行きたくないと思っていた理由が判明したので具体的に解説していきたいと思います。

高2の僕

そもそも高2の頃の僕はどんな人間だったのか、まずはそこから話さなければいけません。

高2と言えば反抗期真っ盛り、「自分の考えだけが世の中の真実」だと勘違いしていました。

周りの人間の意見は全て間違っており、聞くだけ無駄だと思っていたのです。

また、高2の時期というのは【努力しない奴がかっこいい】という風潮があったと思います。

学校の行事や勉強、部活などはいい感じに手を抜いて生きている方が賢く見えていたのです。

伊藤
伊藤
真面目な人ほど損をするという事にみんな気づいていたんだね。

これは時代的に当時がそのような空気感に溢れていたという所もあったのですが、現代の若者の間にも【努力している奴はダサい】と言う価値観があるみたいです。

ヤンキーがかっこいいという価値観は時代とともに変わりましたが努力がダサいと言う価値観は今でも現役みたいですね。

おっと話がそれましたが、高2の僕はまさにこの、「努力がダサい」と思っていた張本人でした。

勉強も部活も真面目に取り組んでいる奴を馬鹿にして、自分は適当に学校に通っているだけ。

学ぶ事は何一つなく物理的に家と学校の往復だけをしている毎日になっていました。

脳内フレンド
脳内フレンド
熱中できるものが見つからず、常に退屈していたんだよね。

それなのにも関わらず、

「自分はこんなもんじゃない」

「もっと活躍できる場所が他にあるはずだ」と言う気持ちでいっぱいで、曖昧なじれったい感情を消化できずにいたのです。

はい、まあ高2の僕はこんな感じでした。

高2で学校に行きたくないと思った理由

伊藤
伊藤
それでは、具体的に高2のボクが「学校に行きたくない」と考えていた理由について解説していきます。 

友達が友達じゃなかった

勘違いされがちなのですが、僕は友達が全くいなかったというわけではありません。

休み時間には話そうと思えば話せる友達もいましたし、孤立しないための努力をすれば周りに馴染むことができたのを覚えています。

しかし負け惜しみにも聞こえるかもしれませんが、何と言うか友達を友達と思っていなかったのも事実です。

というのも、僕が友達だと思っていたその人は僕が話しかけなければ会話をしてくれないという事にある日気付いたからです。

僕はスクールカーストの最底辺の人間であり、僕と話すことで周りの人間の魅力も間接的に下げてしまうという事になる訳です。

伊藤
伊藤
高校ではコミュニケーションをとるべき人間も選ばなきゃいけないんだよね。
脳内フレンド
脳内フレンド
これは高校の人間関係において一番めんどくさいところでだね。

クラスの入り組んだ人間関係では、僕がまさに【話しかけるとレベルが下がる存在】という立場になっていたので、積極的に話しかけてくれる友達はいなかったのです。

もちろん自分からコミュニケーションをとれば、誰からも露骨に嫌そうな顔されるわけではありませんが少なくとも

「なるべく深入りはしたくない」と思われていた可能性はあると思います。

考えすぎだと言われるかもしれませんが、僕が話しかけることを迷惑に思われてしまう【可能性がある】と言うだけでも、高2の僕が学校に行きたくないと考えてしまう動機には十分だったと思います。

先生が嫌いだった

僕が高2の頃、先生というものがとにかく嫌いで信用していませんでした。

今では教師なんて職業は普通の人間となんら変わりないということを自覚できていますが、当時は学校内において先生は絶対的な存在であり、正しい人間だという洗脳がされていました。

中学までの僕は、そこまで物事に対する考えが深まっていなかったので単純に

「先生がうざい」

「先生がめんどくさい」で済んでいたのだと思いますが、高校に入ってからは教師が話している話の矛盾や 指導方法のからくりが本質的に分かるようになったのが原因だと思います。

伊藤
伊藤
若い先生が年上の先生に気を使ってるのに気付いたのも、高2からだったなあ…

例えば先生が生徒を叱る際、 何もかも大げさな表現を用いて叱る光景をよく見かけました。

僕はそれを見て【嘘をついている】ということを気づいてしまったので、教師が正しい人間だという風潮を気持ち悪く思ってしまったのですね。

人生に萎えていた僕は、課題が出てもやっていなかったので当然先生に叱られます。

職員室に呼ばれ長時間話を聞かされるのですが、心の中では

「本当は正しい人間じゃないくせに」と苛立ちを覚えていたのを覚えています。

これも高2の僕が学校に行きたくないと思っていた理由の一つですね。

伊藤
伊藤
先生の言う事を素直に聞いている周りの友達さえ、僕には理解する事が出来なかったよ。

頑張りたくなかった

高校2年生の頃の僕は学校というよりも人生そのものに失望していました。

入学当初に友達作りに失敗したのもあったのですが、小学生や中学生の頃の生活と比べてワクワク感とか充実感が明らかに減っていたのを自覚できていたんですよね。

そしてたとえ高校を卒業しても、同じような大学生活か社会人生活が待っているという事を予想できていたので、なんかそこまで

「頑張って生きる価値がないんじゃないか」と思い始めていたのです。

伊藤
伊藤
勉強や部活に励んだところで、意味は無いと思っていたんだよ。

僕は何かを真剣に頑張って幸せになった「成功体験」というものがなかったので、頑張るだけ無駄だと感じていたのです。

苦しい思いをしても、この先にも苦しい思いしか待っていないのであれば、 頑張りたくないと考えていました。

学校なんてのは努力を学ぶ場所です。

勉強や部活、人間関係など無駄にストレスが掛かるようなことばかりな割には楽しい事もありません。

別に学校に行かなかったからといって充実した毎日が送れるとは思いませんが、平日よりも休日の方が楽しい。

それだけでも十分学校に行きたくないと考える理由になったと思います。

本当の理由

ここまで、高2の頃に僕が学校に行きたくないと思っていた理由を具体的に解説してきましたが、実は学校に行きたくないと思っていた本当の理由というのは今でもわかっていません。

必死に過去の自分が考えていたことを思い出してみたのですが、ある程度判明はしてもどれも明確な理由にはなっていないと感じています。

それは当時の僕が「なんとなく学校に通っていた」からだと思います。

伊藤
伊藤
学校に通う理由もなければ、行きたくないと考えた理由もそこまでなかったんだよね。

明確な理由が本当に存在していたのだとしたらその問題を対象する努力をするはずなので、あそこまで塞ぎ込んでしまうことはなかったと思います。

つまり理由が明確でなかったからこそ、気持ちの対処ができず「学校に行きたくない」という気持ちがどんどん膨れ上がって病んでしまったわけですね。

詳しくは下の記事で解説していきます。↓

学校に行きたくない理由の【なんとなく】って何だよ!?

以上、陰キャ研究所でした 。

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