こんにちは、陰キャの伊藤です。
高3といえば大学選びや就活につながる重要な時期と言われていますが、
この時期に限って、いやこの時期だからこそ学校に行きたくないと考えてしまう高校生も多いかと思います。

高3の僕が学校に行きたくない原因
精神的に疲れる
高3の僕が学校に行きたくないと考えていた原因の一つは、精神的に疲れるからです。
高3の時期は周りの友達が急に真面目に勉強を始める時期ですよね。
これまでは何も考えずにただレールに沿って生きているだけでよかったのですが、高3になってからは自分で判断して動かなければいけない場面が多々あります。
今まで【やった方が良い事】にあふれていた価値観も【やらなくてはいけない事】に変わり、高校にまともに通うだけでもプレッシャーが半端ではないんですよね。

僕が高3の時に親によく言われていたのは、
「今の時期が人生で一番大事」
「今頑張ったかどうかで将来が決まる」というものです。
今冷静に考えてみると全然そんなことはないのですが、当時の僕をなまけさせないように、親なりの教育をしていたんだと思います。
まあ一種の洗脳に近いですよね。

それに関しては今更文句をいうつもりはありませんが、僕にとってその言葉がプレッシャーとなってストレスを抱え込んでしまったのは確かです。
結果的に精神的な疲れが溜まってしまい
「全て投げ出して学校を辞めてしまいたい」と塞ぎ込んでしまったのは、これが原因の一つとも言えます。
将来に希望が無い
将来に希望がないというのも高3のボクが学校に行きたくないと思ってしまった原因の一つです。
当時の僕は、「生きてる意味なんてあるのか」と言う思春期にありがちな哲学的な疑問を抱えながら生きていました。


いい大学に入ったところで幸せになれるとか、頑張って就活していい会社に入ったからといって充実した人生になるとは到底思えなかったのです。
将来に希望が持てなかった僕は、今努力することが無駄な行為に思えて仕方なかったのです。
つまり学校に行くこと自体が僕にとって、意味がないことなので学校に行きたくないと考えていたのです。
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満たされない気持ち
僕は高3の時に常に満たされない気持ちと戦っていました。
その気持ちの出所はおそらく、理想の自分になれていない劣等感といったところでしょう。
僕はクラス内でのスクールカーストは最底辺な上に、もちろん彼女なんてものはいません。
誰からも必要とされていないという現実が孤独を生んでしまっていたのですね。


周りの友達と比べて自分があまりにも不幸だと感じていたので、そもそも生きる気力自体が失せてしまったのだと思います。
精神的に参ってしまっていたので何をするにも気力がわかず、休みの日も常に学校に行きたくないと考えていました。
しかしそれを言葉に表現するのは高3の僕には難しく、親には
「なんとなく学校に行きたくない」と説明していたのを覚えています。
詳しくは下の記事をご覧になってみてください 。↓
高3でやるべき事って何?
結局、高3の学生がやるべきことは一体何だったのでしょうか?
今だからこそ分かる僕の考察を聞いてください。
大人はみんな、高3という時期は将来につながる重要な時期と考えていることが多いです。
しかし僕は将来のためのステップというよりも、高校3年生というその瞬間が重要なものだと思います。

親や教師などの第三者から見たら、高校の3年間なんてあっという間でその子の人生のほんの一部だという認識を持っています。
しかし今まさに高校に通っているその学生は、その瞬間を一生懸命生きているのです。
つまり未来のために何かをする余裕など本来はないはずなのに、さも「人生はこれからだ!」的な価値観を植え付けようとしているのが僕には理解できません。

確かに将来のために勉強をすることや、良い就職先を探すことは重要かもしれませんが、それ以上に重要なのは、今を楽しむことだと思います。
そして、もし今を楽しめていないのだとしたら、楽しめるもの、夢中になれるものを探すことがその子供のやるべきことなのではないでしょうか?
将来幸せになるかどうかなんて、就職先や大学で変わるものではありません。
現実的に考えると、今努力した結果が将来の幸せに結びつく確率なんて1/1000にも満たないのではないでしょうか?
僕が間違いを犯したとするならば、「将来のために今があるという価値観」(洗脳)から抜け出すことができなかったことだと思います。
もし過去に戻れるとしたら僕は、自分が興味を持てるものを全力で探して未来を幸せにするための努力ではなく、その時を幸せにするための努力をするかと思います。
学校に行きたくないのは甘え?
学校に行きたくないと言っている高校3年生に対して「甘えだ!」という意見があるのも事実です。
僕はこの意見に対して全面的に否定している立場ですね。
そもそも甘えって何ですか?
やりたくないことをやらないのは【子煩悩】だとでも言いたいのでしょうか?


僕が思うに、やりたくないことをやらない努力をする事はむしろ賢い生き方だと思うのですがこれ、間違っているんですかね?
たとえ、【やりたくないことをしなくてはならない環境】にあっても、何とか工夫して自分が楽しむための努力をするということは、むしろ生きるためのエネルギーに溢れていると思います。

どうも日本人は、「努力は素晴らしい」という価値観を昔から植え付けられているようで、学歴社会が未だに消えないのはそのせいだと思っています。
まあ現在では学校に行かない生き方というのも徐々に浸透してきているので、 過去の自分に戻れるとしたら
「こういう生き方も間違っていないよ」というのを伝えてあげたいくらいです。↓
学校に行かない生き方はあり?|学校教育が合わない子供って多いよね
以上、陰キャ研究所でした。