「人を傷つけた人は幸せになれない」←これ嘘です|因果応報とか無いです!償いは無駄!

あなたは、

「人を傷つけた人は幸せになれない」

という言葉を聞いたことがありますか?

これ嘘です。

全然幸せになれます。

どんなに人を傷つけても、最低な行為をしても、人は幸せになれます。

脳内フレンド
脳内フレンド
ちなみにこれは、信仰とかそういう類の話ではありません。

事実を言っているだけです。

世の中はそういう仕組みで成り立っているんです。

「人を傷つけた人は幸せになれない」という言葉が嘘な理由

「人を傷つけた人が幸せになれない」

その言葉が嘘である理由について5つのポイントと、

具体的な幸せになる例を説明します。

人を傷つけた人が幸せになれないという言葉が嘘である理由

1. 自己正当化:

人は自分の行動を正当化する傾向があります。

人を傷つけた人も自分の行動を正当化し、幸せになることがあります。

例: 人を過去に人を傷つけた人が、その行動を「相手が悪かったから」という理由で正当化し、幸せになることがあります。

2. 無罪感:

人を傷つけた人が反省し、罪悪感を抱く場合でも、その後の行動や努力によって幸せを感じることができます。

例: 傷つけた人が反省し、被害者に謝罪や補償を行い、その後の行動で善行を積み重ねることで、幸せを感じることがあります。

3. 利益追求:

人を傷つけた人が自己の利益を追求することで幸せを感じることがあります。

例: 人を傷つけた人が他人を利用し、自己の利益を得ることで幸せを感じることがあります。

4. 社会的地位:

人を傷つけた人が社会的地位を得ることで幸せを感じることがあります。

例: 人を傷つけた人が成功し、社会的地位を得ることで幸せを感じることがあります。

5. 内面の平和:

人を傷つけた人が自分自身と向き合い、内面の平和を得ることで幸せを感じることがあります。

例: 人を傷つけた人が自己成長に取り組み、内面の平和を得ることで幸せを感じることがあります。

人を傷つけた人が幸せになれる理由

じゃあここからは、違う視点から

人を傷つけた人でも幸せになれる理由を解説します。

人を傷つけた人が幸せになれる理由の1つは、自己正当化のメカニズムです。

人々は、自分の行動を正当化するために、他者を傷つけたという事実を無視したり、軽視したりすることがあります。

結局、人を傷つけた本人は時間が経つと、そんなこと忘れて日常生活を送るようになるんですよね。

また、人を傷つけた人が成功を収めたり、権力を持つようになったりすることもあります。

さらに、人を傷つけた人が幸せになれる理由の2つ目は、社会的な支持の存在です。

人々は、人を傷つけた人に対しても支援や理解を示すことがあります。

人を傷つけても、別に孤独になるわけではないので、周りの人は応援してくれるんですよね。

傷つけられた人からしたら理不尽極まりないです。

また、人を傷つけた人が幸せになれる理由の3つ目は、個人の価値観の違いです。

人々は、何が傷つける行為なのか、異なる意見を持つことがあります。

つまり、第3者から見たら【傷つけてる人】が悪者に見えないケースも多いんですよね。

そのため、人を傷つけた人が自分の行動を正当化し、幸せを感じることもあるのです。

また、人を傷つけた人が幸せになれる理由の4つ目は、環境の影響です。

人々は、自分を取り巻く環境や社会の価値観に影響を受けることがあります。

例えばグループAで人を傷つけたとしても、本人がグループBに異動してしまえば何の問題にもならないのです。

そのため、特定の環境下では、人を傷つけた行動が報われることもあるのです。

最後に、人を傷つけた人が幸せになれる理由の5つ目は、個人の心の状態です。

人々は、傷つけた行動によって罪悪感や後悔を感じることがありますが、一方で、自己保身や快楽を追求することによって幸せを感じることもあります。

人を傷つけても、それによってメリットが発生すれば、

「結局これで正解だったんだな」

と思うようになるんですよね。

因果応報なんて無い?

人を傷つけても因果応報なんてないです。

まず、因果応報とは何かを考えてみましょう。

因果応報とは、行った行為に対して必ずしも同じような結果が返ってくるという信念です。

つまり、悪いことをしたら必ずしも悪い結果が返ってくるということです。

しかし、これは単純化された考え方であり、現実世界では複雑な要素が関与しています。

例えば、ある人が他人を傷つけたとします。

しかし、その行為が因果応報によって直接的に報いられるとは限りません。

なぜなら、その他人がその人を傷つけた行為に対して何もしないかもしれないからです。

また、因果応報は【時間の要素】も含みます。

悪いことをしたら直ちに悪い結果が返ってくるわけではありません。

時間が経過することで、その行為に対する結果が現れることもあります。

さらに、因果応報には倫理的な問題も存在します。

例えば、ある人が他人を傷つけた場合、その他人が報復することは倫理的に正当化されるのでしょうか?

因果応報が常に正しいとするならば、報復行為も正当化されることになります。

しかし、社会的な観点や倫理的な観点から見ると、相互理解や和解が望ましいとされています。

以上のような理由から、人を傷つけても必ずしも因果応報が起こるわけではないと言えます。

因果応報の概念は一部の人々にとっては安心感を与えるかもしれませんが、

現実世界では複雑な要素が絡み合っており、必ずしも単純な因果関係によって物事が進行するわけではありません。

したがって、他人を傷つけることは避け、相互理解と和解を大切にすることが重要です。

人を傷つけても償いをしても無駄です。

人を傷つけても償いをしても無駄です。

その理由を解説します。

まず、人を傷つける行為には当然悪い影響があります。

傷つけられた人は、心に深い傷を負い、信頼関係が揺らぎます。

傷つけられた人は、その傷を癒すために時間がかかるかもしれません。

また、傷つけられた人は、同じような状況を回避するために、自己防衛のための壁を築くかもしれません。

これにより、関係は一層壊れる可能性があります。

しかし、償いをすることで、関係の修復が期待できます。

償いは、謝罪や補償などの形で行われることがあります。

これにより、傷つけた人に対して反省の意思を示し、相手の気持ちを理解しようとする姿勢を示すことができます。

また、償いを受けた人も、傷を癒すための一歩として、償いを受け入れることができます。

しかし、人を傷つけても償いをしても無駄だと言われるのは、償いが完全に傷を癒すことができないからです。

傷つけた行為は、一度行われたことを変えることはできません。

また、傷つけられた人の心には、深い傷が残るかもしれません。

償いは、傷を癒す手助けをするものであり、完全な解決策ではありません。

結論として、人を傷つける行為は慎むべきです。

傷つけた場合は、償いをすることが重要ですが、それでも無駄と言われるのは、傷を完全に癒すことができないからです。

私たちは、傷つけない行動を心がけることが大切です。

償いは一歩ではありますが、関係の修復につながる可能性があります。

ただし、傷つけた行為を繰り返さないことが、より重要なのです。

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